タイトルがめっちゃ良いですよね。
『吾輩は猫である』
自分が想像したのは、『ネッコが堂々と構えている感じ』です。
さてさて、です。
2019年10月6日。
自分は初めて、この小説を読もうとしました。
それで、青空文庫で、第1章の部分と、最後の結末部分を読みました。
なぜ、最初と最後だけかって?
読むのが超絶難しかったからです。
むずかしい、なんてもんじゃあ、なかった。
『ストーリーのシーンが見えない』
これに尽きます。
図書カードによると、1905年に『吾輩は猫である』を発表したとのことですが、そのころの言葉づかいって言うんですかね?
人の呼び方とか、物の名前とか。
そのあたり、読んでて何を指しているのか、想像がつかなかったです。
100年を超えるジェネレーションギャップ。
当時の方々はたぶん、読めたし、共感もできたんでしょう。
でも、その100年後の自分が理解するには『もう絵本に起こしてもらうしかないな』と思いました。
読めるけど読めない、そういう感じ。
漢字は読めたけど、何を指してるのか?
それがわからない。ひらがなも同じ。
『おさん』⇒『オッサン?』
調べたら、おさんとは『台所の仕事をする人』とのこと。
当時は、そういう呼び方があったらしい。
そして、作中のおさんは、たぶん、オッサンではない。
それで、自分のことを吾輩、吾輩と、検索したら400回以上も仰っていた主人公のネッコ。
最後はどうなったか?
ネッコが水瓶の中に落ちてしまう。
なぜ落ちたのか?
そこまでは読んでないので、ちょっと分かりません。
しかしながら、この吾輩というネッコ。
ざっくり読んだ感じですが、時折り雑に扱われつつも、それなりに面白く生き抜いていた。
そういうネッコであったように思います。
原著は読書感想文に向かない
現代人の自分には、分からない言葉が多過ぎました。
字は読めるけど、何のことを言ってるのか分からない。
そのたびに調べて読む感じで、時間がかかりすぎました。
こういうのを『ロス』といいます。
最初に原著を読むというアプローチは、時間がもったいない。
読書するなら、断然、挿絵や説明を充実させたバージョンです。
たぶん、既にそういうのがあると思います。
ネッコが主人公ということで、かなり面白そうなんですよね。
ここまでさんざん、難しいとか、分からないとか書きましたが、それはたぶん、当時の世界を指す言葉の数々を、自分が知らなかったから。
実は、読んでいて、第2章以降にも興味が湧きました。
でも、かなりの長編小説のようだったので、時間的に断念しました。
とりあえず、結末だけは把握したので、満足です。
『吾輩は猫である』を読もうと思ったのは、ほんの気まぐれだった。
青空文庫のアクセスランキングを見たら、上位にありました。
なので、『ちょっと読んでみようかな?』って思いました。
タイトルだけは良く知っていましたし、結末も知りたかったんですよね。
でも、知らない言葉が多すぎて、拾い読みになっちゃいました。
しかし、です。
得るものはありました。
分からない言葉をどうやって理解するか
唐突ですが、自分は、英語をそのまま読むのが苦手です。
そして、自分が『吾輩が猫である』を読めなかったのも、根っこの部分は同じだと思うんです。
言葉に対して、イメージが湧かない。
そういう言葉を、使ったことが無い。
結果として、何が書いてあるのか、理解できない。
つまり、読めない。
日本語だから読める、英語だから読めるって感じじゃないんですよね。
『知らないから読めない』
最近は常々思っていたのですが、つまりは、そういうことなんだと思います。
ところで、いつか数学に出てきた『対偶』を考えると、色々ひっくりかえして、『知っているから読める』ってなりそうですね。
自分が最近取り組んでいることなのですが、プログラムを使って、文章を読んだり書いたりしたいと思っています。
それで、どうしたらできるのかと、そんなことをよく考えています。
べつに、仕事じゃないんだけど、これが楽しい。
文章が読めないのは、PC のプログラムも同じ。
もし、人工知能に文章を読ませるなら、こういうハードルですね。
『言葉が分からない・文章が読めない』というハードルを、越えていかねばならんのですわ。
こういうのを『記号接地問題(きごうせっちもんだい)』って呼ぶらしい
『言葉』と『現実のイメージ』を結びつけるっていう問題ですが、名前がついていました。
記号接地問題って呼ぶらしいです。
検索したら、自分が考えていたようなことが、たくさんヒットしました。
やっぱりデータベースを育てる感じになるのかな
『吾輩は猫である』を、良く理解するためには、当時の知識と経験が要ります。
言葉が、文脈の中で意味しているところを、しっかりとイメージする。
そのためには、知識と経験です。
『おさん』と聞いたら、台所で仕事をしている人(ご飯を作ったりするのが仕事の人)。
もし、自分がその時代を生きていたなら、おさんという人の見た目とか、どんな服を着ているのか?とか、分かったんだと思います。
たぶんですが、人工知能にも、そういった細かい、基礎の基礎みたいなところを丁寧に教えていけば、文章が読めるようになるんだと思います。
あれこれと判断するロジックのところも大事ですが、それ以上に、データベースにあたる部分が重要である。そんな気がしています。
しかしながら、そういった基礎の基礎って、膨大ですよね。
人間ですら、言葉は徐々に話せるようになっていくわけです。
数年かけて、ひとつひとつ、『ああ、アレはアノことを言ってるのね』って理解していく、知っていく。
そのあたり、人工知能といえども、まずは同じアプローチが必要なんだと思うわけです。
時間がかかりそうですよね。年単位で。
世の中にあるSF創作の作品でも、ロボットや機械を育てる、みたいなシーンを見かけました。
やっぱり、時間のかかる作業なのかもしれません。
けれども、分野を限定した特化型の人工知能なら、もしかしたら、現実的な時間でデータベースが作れるかもって想像しています。
『吾輩は猫である』を理解できる人工知能は作れるか?
なにをもって『理解』とするのか?というのはあります。
ですが、『吾輩は猫である』に登場しそうな文章や画像・映像を選ぶ、みたいなことは、たぶんそのうち、個人でもできるようになると思います。
そういう人工知能は、たぶん作れる。
もっと進めたら、『おさん』を『オッサン』に絡めたダジャレも、言えるようになるんじゃないでしょうか?
あと、人工知能 A と人工知能 B を組み合わせて、おさんの勘違いコントをさせたり。
そういった面白いことができる人工知能は、役に立つといえます。
あとは、人工知能にお堅い文章を適切に理解してもらって、人間が妥当な判断をするための情報を出してくれる、とかも良いですね。
人工知能のプログラムには夢があります。
ちょっと思いつきで『吾輩は猫である』を読んでみようと思い立っただけなのに、思いのほか、色々と考えることができました。